2005年 07月 15日
永遠のテーマ |
大人から始めるピアノ奮闘記:激賞「ピアノの森」
kantakuさんも絶賛の「ピアノの森」。漫画です。
読んでいてドキドキしっぱなしでした。特に便所姫(という女の子が出てくるのです)が、コンクールに「ケンカを売りに」行く話しは、ずーっと「がんばれ、がんばれ」ってつぶやいちゃうくらい。一緒に歓声を上げてしまうくらい。心底のめりこみました。
最近、連載が再開されたそうですが、今コミックスで出ている分(9巻)だけに関しては、私は、これはピアノを題材とした、登場人物たちのの成長(自己形成)物語だと感じました。「理想」と「現実」の間で、それぞれが絶望を抱えつつ、希望を信じてピアノを弾く人も弾かない人も、自分自身の障害を一つずつ乗り越えていく。みんな一生懸命に。だからそれがまぶしくうつって、ドキドキしてしまうのです。でも、私、正直なところ、主人公があまり好きになれない。
だって、やっぱり主人公は「天賦の才能」が与えられているんだもん。ずっるいよね。もう、はじめからスタートが違うんだもん。全くの別次元で生きちゃってるの。「ピアノが弾きたい」ただそれだけで、他のことも一生懸命努力してるんだけど、その努力量も成果も、人間業じゃない。「現人神はじめました」って感じ。「この主人公はもともと才能がありますが、努力だって人一倍するんですよ」がアピール臭く思ってしまう。私、心が汚いですか?
「才能」って何ですか?それは、越えることができませんか?私は才能=運だと思いたい。ピアノに出会えた運、ピアノを好きになれた運、いい先生にめぐり合えた運、色々な経験を積む運、ピアノを続けることができる環境を得た運・・・。弾きたい曲が弾けなかったら、あくまで「練習が」足りなかったからで、定義ができない「才能」のせいになんてしたくないんです。どうもこの手の「努力する天才」を見ると、天才とそうでない(と自ら考えてしまう)他の登場人物の間に、越えられない壁を感じてしまう。漫画なんだけど、すごくくやしい。ライバルの子に言ってあげたい。「君は、君だ」って。うへ、クサ(照
ヴォロドスというピアニストがいます。ホロヴィッツ編のカルメン変奏曲とか弾いちゃう技巧派ですが、ホロヴィッツとはもちろん違し、同じである必要もない。そして、ホロヴィッツに対して、越えられない壁なんて感じる必要もない(感じてないでしょうが)。ピアノ弾きに絶対必要な「才能」は、「ピアノが好き」であること。それだけ。後は自然と、これもあんまり好きな表現ではないけれど、「自分のピアノ」ができるんじゃないかな。
そんなこと、思ってるからかな。9巻ラスト、お父さんのコンサートで私は不覚にも涙してしまったのでした。
天賦の才能なんて関係ない、私は好きだからピアノを弾いているの。
kantakuさんも絶賛の「ピアノの森」。漫画です。
読んでいてドキドキしっぱなしでした。特に便所姫(という女の子が出てくるのです)が、コンクールに「ケンカを売りに」行く話しは、ずーっと「がんばれ、がんばれ」ってつぶやいちゃうくらい。一緒に歓声を上げてしまうくらい。心底のめりこみました。
最近、連載が再開されたそうですが、今コミックスで出ている分(9巻)だけに関しては、私は、これはピアノを題材とした、登場人物たちのの成長(自己形成)物語だと感じました。「理想」と「現実」の間で、それぞれが絶望を抱えつつ、希望を信じてピアノを弾く人も弾かない人も、自分自身の障害を一つずつ乗り越えていく。みんな一生懸命に。だからそれがまぶしくうつって、ドキドキしてしまうのです。でも、私、正直なところ、主人公があまり好きになれない。
だって、やっぱり主人公は「天賦の才能」が与えられているんだもん。ずっるいよね。もう、はじめからスタートが違うんだもん。全くの別次元で生きちゃってるの。「ピアノが弾きたい」ただそれだけで、他のことも一生懸命努力してるんだけど、その努力量も成果も、人間業じゃない。「現人神はじめました」って感じ。「この主人公はもともと才能がありますが、努力だって人一倍するんですよ」がアピール臭く思ってしまう。私、心が汚いですか?
「才能」って何ですか?それは、越えることができませんか?私は才能=運だと思いたい。ピアノに出会えた運、ピアノを好きになれた運、いい先生にめぐり合えた運、色々な経験を積む運、ピアノを続けることができる環境を得た運・・・。弾きたい曲が弾けなかったら、あくまで「練習が」足りなかったからで、定義ができない「才能」のせいになんてしたくないんです。どうもこの手の「努力する天才」を見ると、天才とそうでない(と自ら考えてしまう)他の登場人物の間に、越えられない壁を感じてしまう。漫画なんだけど、すごくくやしい。ライバルの子に言ってあげたい。「君は、君だ」って。うへ、クサ(照
ヴォロドスというピアニストがいます。ホロヴィッツ編のカルメン変奏曲とか弾いちゃう技巧派ですが、ホロヴィッツとはもちろん違し、同じである必要もない。そして、ホロヴィッツに対して、越えられない壁なんて感じる必要もない(感じてないでしょうが)。ピアノ弾きに絶対必要な「才能」は、「ピアノが好き」であること。それだけ。後は自然と、これもあんまり好きな表現ではないけれど、「自分のピアノ」ができるんじゃないかな。
そんなこと、思ってるからかな。9巻ラスト、お父さんのコンサートで私は不覚にも涙してしまったのでした。
天賦の才能なんて関係ない、私は好きだからピアノを弾いているの。
by myazeppa
| 2005-07-15 20:21
| ソノタ